2014年4月13日日曜日

すみだ水族館:東京スカイツリーお膝元の大人の空間

すみだ水族館 訪問記

http://www.sumida-aquarium.com/

1.話題のスポットで、クオリティと入館料は高め

 東京スカイツリーに加え商業施設「ソラマチ」を擁する話題のスポットで、下町・浅草から10分くらいの距離で2駅に直結するアクセス。平日ではあるが学校の春休み期間で、絶好の花見日和の昼下り。スカイツリーの展望台に押し寄せる観光客。それにしては入館者は少なめでゆったりしている。

 入館者が多くはない理由の一つは、高めの観覧料かもしれない。大人は2,050円。幼児でも600円の入館料。お土産はクオリティが高い分、値段も総じて高め。ちなみにスカイツリーの「天望デッキ」の観覧料は350m地点で大人2,060円、さらに100m高い「展望回廊」は1,030円。スカイツリーの展望台に登り(分速600mのエレベーターであっという間だが)、ついでに水族館も、となると入場料だけで一人4、5千円は飛ぶ。ディズニーランドと同じくらいで、家族連れには勇気のいる出費かもしれない。
 

2.低い空間演出と自由導線による大人の水族館

 入館料の有無により意図的または結果的に入館者が選別されることは博物館倫理の課題であるがさておき、館内は落ち着いた「大人」の空間に見えた。小学生は少なく、ベビーカーと一緒のママ友同士や、年齢層高めのママパパ(平日に来館できるイクメン)が多く、商業施設内と思えないほど静かである。イルカ・ショーのような派手な演出はなく(ペンギンやチンアナゴの餌やりなどのショータイムはある)、少々暗めの水槽の脇でイームズの椅子でまったりできる「大人」の演出が行き届いている。

 スカイツリーの膝下ながら空間の重心が低く、「落ち着き」の演出につながっている。館のコンセプトとして「自由導線」を謳い、都市型の大人の水族館となっている。

 5、6階に位置する水族館の中央の吹き抜けはペンギンとオットセイの大型水槽があり、その回りは階段が波のように横に広がった大きな広場のようになっている。カフェの前は六角形の低いスツールが散在する。おひとりさまママやスーツ男性などがゆっくり過ごせる場所である。

3.最新の設備とデザイン、高い理念

 入館してすぐ、5階から6階に登る階段部分にブルーの大型映像が迎える。途中の回廊もブルーのトンネルになっており、全館で統一されたデザインの内装である。最初の水槽は、光合成を体現した実験的なものである。青々した「本物」の水草が美しい。珍しい魚に頼らず、生態系を見せる展示である。

 子ども向けの体験プログラム(工作、観察など)も多い。展示室に「ラボ」があり、サンゴやクラゲの飼育水槽が並べられ、スタッフがメンテナンスをしている。スタッフと来館者とのコミュニケーションも、展示コンセプトとして謳われている。

 スタッフの養成、研修もおそらくしっかりしていて、『すみだ水族館公認ガイドブック』(文踊社、2014年1月)の副題は「飼育員だけが知っているペンギンたちの秘密の生活」。飼育員のコメントが満載で(ペンギンの「男子カップル」への目配りも!)、一般書としての出版は、スタッフのモチベーションを高める良い機会になったのではないか。

4.民間ならではの力量と魅力

 運営は「オリックス不動産」で、民間に学ぶべき点が多いことを再確認させられる。同社はリニューアル(再生)を成功させた新江の島水族館の実績をもち、すみだ水族館(2012年5月開館)の数ヶ月に京都水族館も開設している。京都とすみだでは、完全人工海水のシステムを導入し(国内でこの2例のみとか)、養殖サンゴ、ブリーディングなど、最先端の取り組みをしている。

 開館直後の2012年夏には仙台駅前の商業施設(EDEN)で移動水族館も行っている。偶然目にして訪問すると、おしゃれなショップやカフェが集まる平屋建ての施設の中庭に、大人っぽい黒地の仮設スペースに、さほど大きくない水槽が点在していた。訪問者は顔を近づけてカラフルな熱帯魚やエビを観覧できる。観覧料は無料。被災地支援事業だったようだ。民間ならではの創造性と機動力に圧倒される。
2014年4月平日(学校春休み終盤、快晴)訪問

2014年4月12日土曜日

ま、仕方ない☆で済ませられない分離教育


井口恵理、山田雄一「ダウン症児外し入学式写真:長野の小学校、校長がおわび」『朝日新聞』2014年4月12日朝刊 を読む

*注:既に朝日新聞サイトでこの記事が見当たらなかったので、Yahoo!知恵袋の関連記事のURLに差し替えます。たくさんの投稿者のコメント、参考になりました(2016年1月記す)。

 長野県で、特別支援校の男児が、地元の子どもとの「交流」を目的に、公立小のクラスの一員に加わった。ところが入学式で、新入生の集合写真「外し」をされることに。それも微妙で、男児が外された写真と、加わった写真の2種類が撮影された。何が問題なのかは、県教委のコメントがすべて集約している。

 「児童全員が入った写真だけを撮るべきだった。男児を外しての撮影は『あの子が写ると困る』と周囲の子どもたちに伝えることになり、問題があった」

 そもそも2バージョン撮影するという発想自体、問題がある。ピカピカの小学1年生に「差別」は当たり前と刷り込むことになるのだから。残念ながらこうした撮影は、全国で見られるのも事実。くだんの校長先生のみを責めることは気の毒だ。しかしそれにしても、マスコミに騒がれるという非常事態でありながら、今朝の新聞での校長先生のコメントは的外れにも余りある。

 「2種類を撮影することが差別になるという意識はなく、(男児の)お母さんがショックを受けるとは考えていなかった。(中略)実は、他の保護者から男児が学校に入ることに不安を訴える声もあった。そのことでお母さんが集合写真を一緒に撮ることに不安があって遠慮しているように見えたので、2種類撮るという方法もありますよ、と言ったつもりだった。今、考えてみれば、お母さんの気持ちをもっと丁寧に聞いて、一緒に撮りましょう、と強く勧めればよかったと思う。」

 県教委は子どもたちの受けとめ方を問題としているが、校長は、保護者対応しか念頭にないように読める(それが記者のバイアスであったら本当に気の毒だが)。既に何らかの「他の保護者から不安を訴える声」があり、そのことを校長先生は男児の母親に伝えたのであろう。(顔見知りかもしれない)他の母親から早速の「洗礼」を受け、校長先生はかばう意識さえ持たない。母親の葛藤は察するに余りある。
 さらに言えば、この期に及んでの「お母さん」呼ばわりは相当に不愉快である。校長先生は(女性校長などの記載がないので)男性であろう。もちろん報道で本名は出ないが、本人には苗字で「○○さん」と呼んでいたか。例えば、立派な風貌の父親が校長と面談していたら状況は変わっていなかったか。
 問題が顕在化する契機となった母親の友人の投書(4月7日朝日新聞朝刊「声」欄)を引っ張りだして読んだ。この友人の方の文章は素晴らしく上手い。いたずらに感傷に訴えることなく、しかし国の特別支援教育の理念を示し「障害者やその家族が、健常者の顔色をうかがって生活する必要がない社会の実現を切に願います」と静かに、力強く締めくくる筆力である。
 投稿者は、「2バージョンの集合写真」の提案でショックを受けたという母親からのメールに「まっ、仕方ないか」とあったことに、次のように書いている。
 「涙が出ました。(中略)「まっ、仕方ないか」という言葉に込められた彼女の思い。」

 教育に携わる者は、障害を持つ者とその家族の諦めに近い感情を読み取り、子どもたち(とクレームを言うような保護者)に態度で示す責務があるだろう。