オピニオン「選べない国で:教育は希望か」『朝日新聞』2016年1月5日 のうち「内田伸子さん」の項を読む
3人の識者への聞き書きの記事で、そのうち内田伸子氏へのインタビューを尾沢智史氏が聞き手としてまとめている。サブタイトルは「早期教育より遊びとふれあい」。早期教育について幾つかの興味深い調査例が紹介されている。
一つ目はビデオ視聴の例。米国の調査で、生後6ヶ月から10ヶ月の間に早期教育用のビデオ教材を1日1時間以上視聴した子どもには、認知や言語の面で発達の遅れが見られたという。また6ヶ月の子どもに1時間ビデオを見せると脳が「オーバーフロー」になるそうだ。
二つ目は、語彙力の調査では高収入の家庭の子どもの得点が高く、習い事をしている子どもは、していない子どもに比べ得点が高いこと。ただし、英会話等の学習系の習い事をしている子どもは実は有利ではなく、芸術・運動系の習い事をしていても先生や友達とコミュニケーションを取る機会が増えるので、語彙力が増えるとのこと。
三つ目は、体操やバレエ、ダンスの教室に通っている3〜5歳児の運動能力は、通っていない子どもに比べ、むしろ低いとのこと。同じ動きを繰り返すトレーニングは子どもには面白くなく、友達に比べて自分は劣っている等と人目を気にするようになると運動嫌いになってしまうそうである。同様に、早期の英語教育の効果は疑問とのこと。
四つ目は、本の読み聞かせをたっぷり受けた子どもや、手先を使うブロック遊びを好んだ子どもが小学生になった時の国語の学力が高いこと。幼児期に受けたしつけや保育形態は重要で、一斉保育よりも自由保育であった子どもの方が語彙得点が高いそうである。そして、「親子のふれあいを大事にし、楽しい経験を共有しようとする」特徴をもつ「共有型」のしつけを受けた子どもは、「子どもに過度に介入し」「褒め言葉が少なく否定的な言葉が多い」特徴をもつ「強制型」のしつけを受けた子どもより得点が高いという。
一つ目は現代の教育において重要な課題だ。『現代用語の基礎知識2016』の「育児」の項ではリード部分に睡眠障害が取り上げられ、「子育てアプリ」や「スマホ子守り」も用語に挙がっていたが、今時のメディアとの接し方は、甘く見ると脳等の身体の基幹に致命的な危険を負いかねないと言えよう。
しかし、本稿では2つ目以降の問題点に着目したい。科学的な調査実験で得られる知見に基づきより良い早期教育のためのヒントが指摘されているが、これを実現するための条件整備はいかがか。例えば、このインタビューは以下のとおりに締め括られている。
「しつけや保育のスタイルは親が選べる。(中略)子どもとふれ合い、遊ぶ時間をできるだけ確保することを考えるべきです。その方が、子どもの将来の選択肢を広げることにつながるのではないか。」
たしかにその通りであろうが、しつけや保育のスタイルを選べない、選ぶという発想が無い保護者は少なくないのではないか。実は、次のような冒頭の一文で私は引っかかっている。
おそらく、今の私が強い関心と危機感を持っているのは、バレエや英会話等の選択肢を持たない、あるいは通いたくとも物理的に余裕が無くて適わない家庭、そしてその状況を放任する社会の問題である。オプションとしての早期教育は諸刃の剣の側面を持ち、内容や方法等は十分に検討されてほしい。だが、ミニマムで基礎的な幼児教育、つまり乳幼児に対する組織的な教育的はたらきかけと環境整備は、子どもの将来を大きく左右することは明らかだと思う。もちろんそれは教室や授業等の形態をとらないインフォーマルなものかもしれない(自由保育が優れているようですし!)。だが、子どもの能力の基礎を培うための条件整備は、親に限らず、大人と社会の責任であろう。
本文のフレーズを借りると、「親子で楽しい会話をする」、「子どもと楽しい時間をできるだけ確保する」といった教育的はたらきかけは、素人目にも子どもの選択肢を広げる土壌となり得ると言えよう。だからこそ、そのような親子の「遊びとふれあい」が希薄な家庭の子どもは語彙が豊富でなく、将来の選択肢が狭まると言う科学的な帰結を、そのまま若い親に説くことは私には出来ない。2015年は『幼児教育の経済学』(東洋経済新報社)、『学力の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)が話題になり、いずれも幼児教育の重要性に触れていたが、当事者が何となく不安に思っている「遊びとふれあい」は実の親(特に母親)でなくとも良いか、習い事ができない子どもの体験活動やコミュニケーションの場をいかに保障できるか、といった疑問の検証や、実際の条件整備のための科学的根拠が、今こそ教育学に求められているのだと思う。インタビューでも、「共働きで保育所に子どもを預けていても、家にいるときは子どもと遊ぶことを第一に考える。親子で楽しい会話をしていると語彙は豊かになります。」というくだりがあるが、「共働き」で「子どもを預ける」家庭、「親」や「楽しい会話」が欠ける家庭の子どもの語彙力を増やすためのヒントこそほしい。
もちろん具体的な仕組みづくりは心理学研究の問題では無く、心理学の知見を活かす側の問題である。今年だからこそ条件整備のあり方を内外の事例から考えたいと仕事始めの日に思う。
もちろん具体的な仕組みづくりは心理学研究の問題では無く、心理学の知見を活かす側の問題である。今年だからこそ条件整備のあり方を内外の事例から考えたいと仕事始めの日に思う。