2020年8月2日日曜日

コロナ禍でのzoom講義(その2)

おかげさまで前期の授業、それも未曾有の「オンライン講義」は終了した。
昨日のブログでは書き足りず(?!)、様々なチャレンジのあれこれを記録しておきたい。

1.ある程度の設備投資は必要

オンライン授業にあたり、買い足した大物は iPad である。7、8年ほど前のマシンは不自由なかったが、UDトークをインストールできず、やむなく買い替えた。これは「エア」で、キーボードを付けた。
その他、イヤホン(EarPods)。おまけ機能?のマイクは、なかなか性能がよい。
スマホ用の三脚がほしくなり、メカに詳しい娘と同じものを注文。3,000円程度で優秀☆ 「スマホスタンド」と言い、自撮り棒にもなる(笑)
今年に入って自宅のプリンタが壊れ、後継機種の Canon のインクジェットがどうやら人気機種で一ヶ月後にようやく届いた。結果的にタイミングは良かった。
小道具では、「注意!」「ポイント☆」などの提示用の小さなフリップは役だった。まさにアナログであるが、娘に作ってもらったため高く付いた(笑)

2.PC関係はMac系で統一すると楽

結局、Macを愛用している。アクセサリーも統一すると、選択や操作で複雑に悩まず済む。プライベートの iPhone も、zoom や Teams での会議、UDトークで活躍した。
4年ほど前、ノートPC(MacBook)購入で迷った。軽さか、ある程度のスペックか。文系なので容量の大きな動画や分析ソフトの類いは使わない(使えない?)し、コストは抑えたい。しかしその時、剛健なメカがほしくなり ‘Pro’ にした。自宅で「リモート」中の現在、当時の選択は正しかったと強く思う。
結局、デスクトップPC は無い。昨年秋に購入した自宅の WindowsPC(Dell製)は、二ヶ月で壊れた。立ち上げるたびに Teams が現れ、重いので、無理にデリートしたのが原因と思われる。処分したいが、コロナ禍の喧噪でそのままになっている。
研究室の HP製ノートPC は、購入直後にバッテリーを交換したのに、2年後に動かなくなった。Windows マシンは、トラウマになりそうだ。

3.zoom の世界観を理解する

zoom講義の出席率は抜群に良く、95名登録で90名ちょっとで、どの授業も最終回はほぼ全員だった。zoom講義中にアンケートをするので、学生は、出席せねば!と思ったかもしれない。しかし(学生には再三アナウンスしたが)、他のアンケート提出をもって「出席」をカウントする。そちらを出さずに zoom講義のアンケートだけ提出する学生が一定数いて、困った(結局、加算した)。また、zoom講義後に、参加できませんでした、どうしたらよいですか、という切迫したメールが届き、そのやり取りに時間がかかった。
zoom講義は、授業内容としては補足や、発展的な内容を扱うという位置づけで、メインの授業内容は、レジュメの他、zoom「一人ミーティング」動画を用意した。同じ回の動画と zoom講義は、できるだけ同じ服装にした。ダークな服装が私は落ち着くが、娘のアドバイスで、それなりの「zoom映え」を目指した(笑)
授業ではないが、zoomでの打合せで、あまり愉快では無い体験をした。今年の後期のオムニバス授業は、面識のない非常勤の先生と一緒に担当することになった。メールでやり取りした上で、学内・対面での打合せを所望されたが、スケジュール上、物理的に無理だったので、zoomでの打合せをお願いした。
zoomの設定を行いたいとのことだったのでお任せし、打合せを始めた。シラバスや参考資料を提示したかったのだが、既に届いていて印刷したので、画面共有しないでください、と言われ、画面に二人だけ映っている状態であった。不意にレコーディングも始まった。30分弱であったが、zoomで初めて「もやもや」した。虫の知らせで、「がち」に映るPCでなく、iPad でバーチャル背景を使ったので、そうした気分を少しはガードできたように思う。
ふと、学生との面談を思う。レコーディングはしないし、資料を提示して画面に映る姿は小さめにして、話し方も工夫したつもりだ。しかし、学生は圧迫感を受けていなかったか。同性であることへの甘えはなかったか。これはいつか学生に聞いてみたいが・・・。

4.前期「オンライン授業」を終えて

コロナ禍で、にわかユーザーとなった zoom。オンラインでの学内での講習があり、SNS などで他の先生方の zoom の実践例を参考にしたりした。前期の授業を終え、反省とともに、一定の手応えを得た。後期の授業の行方はまだ決まらないが、「対面」で、参加できない学生のための録画がマストとなった場合、教室で授業をしながら zoom やスカイプで遠隔はできるか、UDトークはどう設定したらよいか、がとても気になる。
学生の「気持ち」も気になる。授業のアンケートは、大学でお目にかかりたいです、対面授業が楽しみです!というコメントが多い。一方で、アンケートやメールで、コロナが怖い、大学や実習に行きたくない、という訴えが増え、私もどうしたらよいか分からない。
zoomに限らず、この後期の授業をどうするか。前期の余韻が残る今、同僚や友人と情報交換を行いたいのだが、これも「オンライン」となる。400人分の採点もしなくては!

2020年8月1日土曜日

コロナ禍でのzoom講義

未曾有のコロナ禍で、前期はすべて「オンライン授業」となった。
挑戦に次ぐ挑戦となったが、特に zoom 講義は、学生に予想以上に好評であった。思いがけず出会った zoom は、授業方法の幅を確実に広げてくれた。一方で、深い海を泳いできたような、何とも言えない疲労感がたまっている。
前期の授業が終わった今、備忘録として書き留めておきたい。

1.「海に向かって話す」感覚

講義の受講者はだいたい100人単位なので、zoom講義では通信容量をセーブするため、音声はオフ(ミュート)、ビデオもオフとした。そうすると、名前だけ表示された無数の、整然と並んだアイコンに向かって語りかけることとなる。それも自宅の居間から、ノートPCの画面に向かって、一人で。
画面は一度に20名くらいずつしか映らず、スクロールしてもアイコン、アイコンの海。その「海」に向かって、はっきり聞こえるよう声を張った。

2.スローモーションのSF感

少人数の授業やゼミ、実習指導の一環の面談では、ビデオや音声をオンにする。対面授業に近いとは言え、学生宅の居間や部屋などのプライベートな空間が見えていたりするので、不思議な感覚である。バーチャル背景を設定すると通信の容量が飛んでしまう、という事情があるらしい。
そして、話し始めると画面がフリーズしてしまう学生が時々いる。スローモーションで、表情がゆっくり動いていく。まるで、SF映画を見ているような感覚だ。

3.オンライン授業の構成

zoom講義に情報環境のトラブルでうまく入れない学生以上に、自宅で Word、Excelやプリンターが使えず、「スマホ」だけの学生がかなりいることも分かった。
コンテンツの構成や授業方法を固めていくにあたり、「何で参加しているか」「問題があるか」を聞くアンケートの他、3年生対象の中盤のzoom講義で、「効果的な授業方法」を話し合うグループワークは、大いに参考になった。「バズ学習」などの授業方法を学ぶ教職課程の学生なので、具体的なアイデアが豊富だった。1年向けに respon などの説明資料を作ってくれた学生もいた。この資料は他の学年にも好評で、やはり学生=当事者の視点は大切であることを実感した。
今、ベストと思われる講義の構成はこのようなものだ。
  1. レジュメ・・・毎回、授業支援システム(manaba)にテキストべた打ちとPDF版をアップロードする。べた打ちやPDF版は、スマホだけの学生が閲覧しやすく、テキストデータをルーズリーフに印刷する(!)といった活用もしやすい。
  2. 解説・・・毎回 manaba に、レジュメを解説したスライドのPDF版(A4に4枚のレイアウト)と、スライドを解説する動画のストリーミング配信のURLをアップロードする。動画は、zoomで「一人ミーティング」をして録画。右上に私の画像が写り、ひたすら話している(笑)。この動画版は、20分を上限とする。
  3. zoom講義・・・1年対象の「教職論」は毎回、専門性の高い3年生の授業は隔週で行う。これも上限を20分としたが、時間超過となった回もある。「教職論」は、解説の補足説明の他、「30秒自己紹介」や「先輩の話を聞く」、「地域の連携(先輩による教育系NPOの紹介)」なども行う。zoomの「ブレイクアウトルーム」機能でグループに分かれる場合は、3、4名がベストかも(?)
  4. アンケート・・・毎回の授業の解説と、zoom講義に対し、出席を兼ねてアンケートを実施した。respon というアプリを使い、特にzoom講義では終盤に開始し、その回答内容を「画面共有」で写し、特徴的な意見や質問にコメントした。
  5. テストとレポート・・・セットで2回、実施した。Word 文書は作成できない、という学生が少なくなく、オンラインで書き込む形式とした。学生にはポートフォリオとして蓄積でき、私にとっては Excel 文書でまとめられるメリットは大きい。manaba で授業日に公開し、テスト(穴埋めと用語解説)は翌日、レポート(2題で合わせて1,000字程度)は翌々日を締切とした。1回目は「23:30」締切としたところ、夜中に「提出できなかった」と悲痛なメールが届いたりしたため、2回目は「19:00」締切とした。

4.「対面」の大切さ

「オンライン授業」について、学生のアンケート(コメント)では、解説の動画版が「繰り返し見られる」、「音楽のように聞ける」などと思いの外、有益だったようだ。それから、スライドの右肩の小さな私が話しているのも意外に好評で、「ポイントが分かりやすい」というコメントの他、「人がいることで安心できる」「親しみやすい」といったコメントをもらった。画面越しではなるが、「対面」の大切さを痛感した。
zoom講義では、発言、質問がある場合はミュートを外し、できればビデオをオンにするルールとした。自ら発言する学生はわずかで、指名すると確実に明るい声で答えてくれる。数名が私とやり取りするのが、「他の学生の意見が聞けた」「対面授業みたい」などと好評で、本人からは「指されてうれしかったです!」というコメントも。
ゼミ生やNPOに参加する3、4年生には、1年生対象の授業で話してもらった。グループワークに入ってもらった回もある。「先輩の話が聞けた」「質問できた」「かわいかった(!)」と好評で、学生どうしのコミュニケーションは不可欠と感じた。
毎回のzoom講義では無謀にも、最後にミュートを外してもらい、全員で「ありがとうございました」と挨拶した。ハウリングしたり、学生のお茶の間?のTVの音や家族の声が聞こえたりするが、挨拶して、手を振る。学生の声が聞こえてくるのは毎回、感慨深いものがある。
最終回では、さらにビデオもオンにしてもらった。「ありがとうございました−」「元気で−」「きゃ−(?)」などの声が長くこだまして、笑顔の学生に会うことができた。

5.様々なコミュニケーション手段

授業用コンテンツがメインだとして、それを支える「サブ」のコミュニケーション手段にも、様々な発見があった。

(1)zoomの字幕機能・音声認識ソフト「UDトーク」

聴覚障害や難聴の傾向がある学生がいて、他の学生にも私の滑舌が心配であり(笑)、zoom講義では UDトークを入れた iPad に語りかけた(PCにインストールできない)。
使えるかも、と教えてくれた聴覚障害のある友人に感謝している。数年前に「UDトーク」の実践報告を聞いた時はあまりいい感触をもたず、半信半疑であったが、精度がかなりよくなっていて、何よりも zoom に連動しているのが素晴らしい。実際に字幕は、様々な状況の学生に好評であった。字幕を使うと画面が固まる、という指摘もあったが・・・。

(2)Microsoft の Stream のトランスクリプト機能

解説用の動画とzoom講義の録画は、学内の動画配信サービスの Stream にアップロードすると、自動で音声認識して字幕を付けてくれる。「あー」などの口癖を反省せざるを得ないほど(笑)かなり精度が高い翻訳で、修正も可能である。アップロードと修正のスピードがゆっくりなのは、ファイルのボリュームが大きいためだろうか?
字幕はテキスト文書として書き出せるので、特にzoom講義を文字起こしして記録できるメリットもある。

(3)zoom講義の裏番組的(?)SNS

zoom の「チャット」機能は便利であった。「聞こえなくなりました」などの個別の連絡の他、学生どうしでやり取りしている様子も見られた。
それから LINE や Twitter。これはまったく私の管轄外で、どんなやり取りが交わされているか見てみたい(笑)。学生は zoom に参加しながら SNS も併用する場合があり、それが良い方向に向かえばグループワークも円滑になるようだ。もちろん、裏サイト化や仲間外しには注意する必要があるが、「今しらべたら、こんな感じです!」と地域ごとの実践例を次々と数名が伝えてきた時は、良い意味で鳥肌が立った。

・・・何だか長くなったが、以上が、前期の「オンライン授業」の所感である。
コロナウィルスの猛威は、いつまで続くのだろう。7月27日に、文科省より全大学宛てに、フィジカルな「対面授業」を促す事務連絡があったばかりだが、どのような形態であれ、学生が大学で学ぶことを楽しめる授業を目指したい。

2020年4月12日日曜日

コロナ禍の中の新年度のご挨拶

 新型コロナウィルスの感染拡大のため国の緊急事態宣言が4月7日(火)に出された後も政治の混乱が続き、生活や命すら危ぶまれる新年度スタートとなった。大学教育、それも教職課程は、薄氷を踏む春となる。
 例年、大学4年生の教育実習は、最も早い学生で5月の連休明けから始まり、学校園でそれぞれ4週間ほどお世話になる。全国で3月下旬から急速に学校の休校延長が打ち出されたことを背景に、既に文科省は4月3日付で教育実習と介護等体験について通知をだしている。

  1. (教職課程を置く国公私立大学長等宛)文部科学省教育人材政策課長2020年4月3日)「令和2年度における教育実習の実施に当たっての留意事項について(通知)」 https://www.mext.go.jp/content/202000403-mxt_kyoikujinzai02-000004520-2.pdf
  2. 同上「令和2年度における介護等体験の実施にあたっての留意事項について(通知)」 https://www.mext.go.jp/content/20200406-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf
 教育実習に関する1.は、実習の実施期間を秋以降とするなど、とにかく授業時間数や実施期間の設定を「弾力的に検討していただきたい」(課程認定上の手続きも不要)、という内容である。介護等体験に関する2.も、実施時期の秋以降に調整を求めるものである。さらに「障害者や高齢者等と直接接しない体験を主として実施することも考えられる」と踏み込んだ内容になっている。
 しかし、いずれにしても大学や教育委員会等に調整を求める趣旨である。既に4月7日付で横浜市が、4月8日付で東京都が、大学等宛に教育実習の対応についての通知を出している。東京都に至っては、実習開始の14日前から検温等を記入する「健康確認表」と、中止する場合の「教育実習中止一覧」というExcel文書まで作成している。
 もちろん学校園では子どものために、考え得る限りの慎重な対応が求められる。自治体と学校園、そして大学の賢察と速攻の実行力が求められるが、一教員としては全体像が見えないもどかしさがある。教育実習が予定どおり5月の連休明けから始まる学生、また実習や授業どころか生きることが心配される学生は全国で少なくないかと・・・。
 ちょうど5年前の「随想:ミュージアムのある生活。」をプロフィール代わりに載せたい。全国市町村教育委員会連合会が刊行する『時報市町村教委』(2015年3月号)という渋い(?)会報誌で、校長先生や教委の方等から「見たよ-」と評判がよく、原稿依頼をいただいたことに感謝している。オンラインでの学生や同僚とのやり取りに追われるこの一ヶ月を思うと間延びした原稿であるが、青少年の芸術文化活動は、新年度の大きな課題と考えている。コロナ禍の中で4月10日(金)、いわゆる文化観光推進法が、参議院本会議で全会一致で可決・成立している。


2020年3月21日土曜日

博物館と「文化観光」推進法案

 教員養成制度や学習指導要領等のキャッチアップ、また大学教務の仕事に追われ、社会教育や博物館学と縁遠くなった。言い訳にもなっていないが、このたびの国会(第201回、2020年1月20-)で文科省から次の法案が出され、3月17日に衆院の文部科学委員会で付託済みと聞き、浦島太郎状態を痛感する。
「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律案」

 ATOK変換で《修飾語の連続》と表示される、舌を噛みそうな名前の法案は、主務大臣である文部科学大臣と国土交通大臣が、文化観光拠点施設を核とした文化観光を推進するための措置ができるようになる目的を持ち、次の提案理由が付される。
「文化及び観光の振興並びに地域社会の活性化を図る上で文化についての理解を深める機会の拡大及びこれによる国内外からの観光旅客の来訪が重要となっていることに鑑み、文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光を推進するため、主務大臣による基本方針の策定並びに拠点計画及び地域計画の認定、当該認定を受けたこれらの計画に基づく事業に対する特別の措置等について定める必要がある。」
 文化や観光の振興、さらに地域の活性化は、誰もが大いに首肯する目的である。文科省・文化庁と国交省・観光庁が主務官庁であり、「文化観光」という表現となることも概ね納得できる。
 しかし、問題は定義(第2条)以降だ。法案の「概要」が分かりやすいので引用する(アンダーラインはママ)。

文化観光拠点施設以下を満たし、地域における文化観光の推進の拠点となるもの
  1. 文化資源の保存及び活用を行う施設(文化資源保存活用施設1)のうち、
  2. 観光旅客が文化についての理解を深めることに資するよう解説・紹介をするとともに、 
  3. 文化観光の推進に関する事業を行う者(文化観光推進事業者2 と連携するもの 
1 博物館、美術館、 寺社仏閣等
2 観光地域づくり法人 DMO)、観光協会、 旅行会社等

 文字通り「文化資源保存活用施設」であり、また日常的に来館者に文化資源の「解説・紹介」を行う博物館は、「文化観光拠点施設」としての第1と第2の条件は自ずから満たしている。それが、第3の条件である観光協会、旅行会社などの「文化観光推進事業者」との連携が必要、というくだりで、急にきな臭くなる。「概要」内の説明図では「文化資源保存活用施設」と「文化観光推進事業者」が、「共同」というキーワードとともに並置されている。
 同法が成立した場合のメリットは、文化庁と国土交通省をまたぐ観光振興策が可能となることで、2020年2月7日に同法案が閣議決定された時に、次のように説明されたそうだ*1。
  • 文化観光拠点施設の収蔵品の魅力向上、多言語化、学芸員の増員、Wi-Fi・キャッシュレスの整備、広報などへ国が補助する。
  • 地域内の交通機関の共通パスを発行する場合などの手続きを簡素化する特別措置が可能になる。
 つまり、博物館が、同法における「拠点施設」となってこうした恩恵を受けるためには、観光産業の事業者とペアを組まなくてはならない。
 もちろん、国を挙げて博物館や自治体の文化行政にお金が注がれ、地域も潤う手立てとなる法律ならウェルカムである。特に博物館は、日本を代表する国立館や大型の公立館が博物館法上の登録館になれずに相当施設となっていたり、恒常的に予算を回す仕組みが十分でなかったり、学芸員の養成制度や待遇改善も何度か議論されながらそのまま、といった現状がある。2018年は、文化庁が文科省(当時は文部省)の外局となってから半世紀を経て、京都でリスタートした。2019年はICOM(国際博物館会議)の京都大会が開かれ、文化審議会に博物館部会も新設され、文化庁主導の博物館政策への期待が高まる記念すべき年となった。しかしそれなのに、メリットって共通パスの発行ですか?といった肩すかし感は否めない。そもそもこうした法案が、多くの人の目に触れないあいだに無事にとおることを前提に出され、しかも「なんと、博物館を振興する法律ができました! これでミッション・コンプリートですね☆」という流れとなれば、きわめて残念である。具体的には次の4つほど疑問がある。

  • 1.博物館等が、「文化観光推進事業者」と称される観光業者等とペアを組むことが、なぜ申請の必要条件なのか。
 今回の特別措置案のパイロット事業は、20182019年度の文化庁「博物館クラスター形成育成事業」*2 であろう。「博物館を中核とした文化クラスター(文化集積地)創出」を目的とし、「地域の歴史、芸術(中略)等の魅力発信、観光振興、多言語化や開館時間の延長、ユニークベニューの促進など」がメリットとして趣旨に示される。補助対象は、大きくは(1)地域の歴史、地域の有形無形の文化財との連携、地域の人材交流、(2)地域の文化施設等との連携(クラスター形成支援事業) の二つである。
 同事業において「観光」のファクターは、(2)の一部であったにすぎない。この事業の実績・検証の結果、細目に過ぎなかった観光振興目的の事業者が、今回の法案で博物館等に並ぶダブル主演(?)に躍り出た、ということだろうか。
 
  • 2.中立性と倫理性を保った認定等を行うための審査体制や第三者機関はあるのか。
 法案の第4条4項に、申請の審査を行う際に「主務大臣が計画区域に該当する自治体の意見を聴く」とあるが、外部有識者の委員会等の仕組みはあるか。
 文化行政に関しては、2019年の「あいちトリエンナーレ」で、専門委員に諮らず唐突に7,800万円もの補助金を全額不交付とした記憶が生々しい。あり得ない振る舞いであり、政治的判断の矢面に立たされた文化庁職員には気の毒きわまりない。その前年は「未来投資会議構造改革徹底推進会合」なる政府の有識者会議が「リーディング・ミュージアム」構想を打ち出し、「一定の作品は流動化させ、アート市場を活性化させる」、つまり美術館が収蔵品をオークションなどで売却可能と仄めかす暴論が「炎上」した*3。
 一方で教育行政においても、201812月の中教審答申「人口減少時代の新しい地域づくりに向けた社会教育の振興方策について」これも噛みそうだ(汗)で、「クラウドファンディング」を活用した資金調達案が示され、これも議論を醸した。”Society 5.0 やインバウンド等々しかり、近未来的な用語が踊る各種の提言で、国や自治体が教育・文化行政に「お金を出さず口を出す」悪弊すら超えて、お金を出すはずなのにお金も梯子も外し、バッシングまで煽るような事態を招くなら、制度の信頼性を高め、少なくとも制度の的確な運用を確約するために、第三者組織の存在は重要である。
 もっとも今回の法案の策定にあたり、有識者会議として「文化施設を中心とした文化観光の在り方に関する検討会議」が設置され、2020年1月に検討会議による「まとめ」*4 が出されていたことを、今さらながら知った。たしかに、法案の具体案が示されたまとめであるが、この検討会議自体は201911月に招集され、12月までの2ヶ月弱の3回のみの会議で、翌年1月に「まとめ」が出される、いわば出来レースのような拙速さがある。発足時の「検討のための資料」では、参考事例として「国立博物館の改革」と先の「博物館クラスター事業」、それと「日本遺産」、「地域で個別に進展している取り組み」の4つが挙げられた。博物館クラスター事業の事例としては、2018年度の助成事業が紹介されているが、不可解なのは「前橋エリア」だ。「アーツ前橋」は削除されたのか・・・。いずれにしても、国や指定都市レベルの事業がモデルであることは否めない。8名の委員には、ネットを活用した共通パスのシステムを提案できるIT企業や観光会社、かのデービッド・アトキンソン氏も入っている。文化政策学会や博物館の関係者は加わっているが、やはり社会教育関係者はいない。今回の法案に関し、後述するとおり日本博物館協会(日博協)の要望書は出たが、全日本博物館学会や日本社会教育学会から特段のリアクションは無く、唯一、社会教育推進全国協議会(社全協)主催で2020年2月に明大で、公開学習会が開かれたそうである(今日、知りました(汗))。
 今回の法案は、博物館倫理も問われないか。1.で挙げた文化クラスター事業の要改善点として、水族館・動物園等からのアプライの少なさが挙げられていた。集客力のある水族館・動物園は、当然その気になれば(!)容易に申請でき、観光で実績を挙げ得るだろう。しかしその場合に、展示資料=生き物の命・性の尊厳の軽視や、乱獲や遺伝子操作等による種の保存への抵触や環境破壊の恐れは無いか。また、公立館の話とは言え、博物館法(第23条)が掲げる入館料無料の原則が守られ得ないことは、経済的な理由で来られない観衆を排除しないか。同様の倫理性への問いは、あらゆる館種に共通すると思われる。

  • 3.昨今の博物館の制度改革と、非正規の学芸員の増大をふまえた法案か。観光振興事業にあたる人材と物的環境が担保されているか。
 社会教育施設たる博物館は、博物館法に適った登録館こそが真っ当な館であるはずが、指定管理者制度の導入が進み、先述の2018年末の中教審答申で教育委員会から首長部局への移管もOKとされ、同年10月の文科省の組織改編で文化庁に博物館行政の大本が移される、という制度改革の渦中にいる。資料の収集、保管、展示を含めた教育普及事業、調査研究を主とする本来の館活動に加え、確実な成功=経済効果を示す必要がある観光振興の仕事も加わるのは、オーバーキャパシティではないだろうか。
 今回の法案の基礎資料として付された「博物館施策の現状と今後の展望について」は「Ⅰ.現状」として、「平成30年度社会教育調査中間報告」を出典として、博物館の数は前回調査(3年前)より増え、「学芸員数も過去最多」と記している。たしかに一見すると人数は増えたが、注目すべきは「専任」の数ではないか。同調査で専任の学芸員数を見ると、登録館では64.3%、類似施設に至っては35.9%に激減している。つまり、登録館の3割、類似施設の6割以上の学芸員は、兼任や非常勤職である。多くの公立館では2020年度より会計年度任用職員制度が導入され、いわゆる「官製ワーキングプア」問題は解消されるのだろうか・・・。また同調査によると、登録館、類似施設ともに、3割前後が指定管理者の運営下にある。
 そうした現状をふまえると、国立館や大型館はともかく、地域の中小規模の館に、今回の法案のメリットを享受できるための膨大な書類作成を含む申請手続きや他部局・他分野にわたる情報収集が可能な基礎体力があるかは疑問である。2.で触れた検討会議のまとめⅠ(Ⅳ)では、博物館等の施設のうち「意欲があり、積極的な取組を行う施設」を文化観光拠点施設としてとらえる、という説明があるが、助成事業へのアプライができずに「意欲がない」と見なされてしまう多くの館は、コレクションの購入費が今年もゼロ、のような予算の見通しの立たない館で、学芸員等が非正規雇用ばかりで不安定な勤務形態ではないか。また、指定管理者による運営は、観光政策と親和性が高くなる可能性はあるが、博物館としての専門性は保たれるか、疑問が残る。
 
  • 4.そもそも法律制定のメリットはあるのか。
 これも勉強不足かもしれないが、博物館クラスター事業などの既存の仕組みを活用すれば十分と思われるがいかがだろうか。
 例えば法案第2条第3項で、「文化観光拠点施設機能強化事業」として「情報通信技術を活用した展示、外国語による情報の提供」など、また「文化資源に関する工芸品、食品」の販売などが列挙されるが、どうもニッチであり、これまで官民様々な取り組みが進められていて今さらお墨付きがいるのか、という疑問がある。
 もちろん、ベーシックインカムのように全国の館が人員や資金等の恩恵を享受でき、国や自治体に博物館活動の振興を促すインパクトがあるなら、法律制定の意義は大きい。しかし、博物館政策に関する法律ができたので、これで十分、とされるならば本末転倒と思われる。一部の大型館や、観光業者や広告会社が主導する事業体が、競争的資金を獲得できる、といった仕組みでなく、少なくとも、地域の中小館が営利性と集客力がマストの一過性の販促事業に呑まれることなく、政治的中立性と専門性を確実に担保できる体制は整えていただきたいと思う。
 今回の法案に対して、地方創生に取り組む全国町村会等の他、日本博物館協会(日博協)も2020年1月30日付で、早期制定を求める趣旨の要望書を出している。その要望書では、今後の博物館政策の推進と、博物館の基本的機能の充実・発展、また今回の法案に関して中小規模の博物館の実情への配慮と支援策を求めており、大いに賛同できる。「日本の博物館の父」と呼ばれ、日博協の設立の立役者であった棚橋源太郎は、大正期に博物館を「社会教育施設」として位置付け、博物館を教育行政の中で根付かせることにも貢献した。しかし終戦後は、社会教育施設として無理に位置付ける必要も無かった、かえって縛りを与えてしまった、といった趣旨の発言をしていて腑に落ちたことがある。やはり今回の法案には、博物館には経済的効果が十分にあることを各所に広く再認識させる、多大な社会的インパクトに期待したい。今後も、博物館制度そのものの充実をはかる、骨太の見直しと改革を期待したい。

 博物館関係の法律ができるなんて滅多に無い慶事であるが、国際的な有事となった新型コロナウィルス感染拡大への対策のため、今法案の説明時に多用された「東京オリンピック・パラリンピック」の開催が危ぶまれている。今こそ新・文化庁には、目先の危機に動じない、百年の計を期待したい。
 意欲があれば助成事業の申請は当然、という姿勢も心配される。法制度にも精通した精緻な情報収集と高度で膨大な書類作成、観光関係等への手回しが必要となると、小さい博物館や自治体は蚊帳の外では。こうした実務は、大学での教職課程や科研費、かつての大学GP等でデジャブ感があるような・・・。イギリスで博物館ルネッサンス事業が始められた時、「地域ハブ」となった博物館で、その事業のために雇用されたスタッフが、書類作成と身分の先行きへの不安を述べていたのも忘れられない。
 2020年のICOMの「国際博物館の日」のテーマは  Museums for Equality: Diversity and Inclusion”*5 である。ぜひ、こうした崇高な理念と、骨太の制度設計を期待したい。ここで改めて、アーツ前橋の所在が気になる。平成30年度の文化クラスター形成事業に採択された「表現によりつながる地域の活力事業」の中核館であり、今回の法案の説明事業でもグッドプラクティスとして紹介されている。生きづらさを感じる人たちにアート(アーティスト)や芸術文化施設が他者とのコミュニケーションのきっかけを提供する、という目的で、引きこもり経験のある若者の自立支援プログラムなどの事業を行い、まさに多様性や社会的包摂を体現したかのようなプロジェクトであった。しかし、東博などのほとんどの事業体が平成31年度も継続して採択されたのに、前橋の事業は採択されておらず、先述の検討会議で用意された資料では、構成団体として群大や前橋市教育委員会等の名前はあっても、「アーツ前橋」は見当たらないが・・・。
 くだんの感染症対策のため、大学では入学式やオリエンテーションの大きな変更を余儀なくされ、授業開始も危ぶまれる。そうした波乱含みの新年度を後目に、博物館や社会教育に関する動向は追っていく気概をもちたい。そして、在宅ワークもどき(?)の今、自粛体制が解かれた頃の「文化観光」を楽しみにしている。

*注記
  1. (国立国会図書館)カレントアウェアネス・ポータルWebサイト「「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律案」が閣議決定」(2020年2月12日付)https://current.ndl.go.jp/node/40215
  2. 文化庁Webサイト「博物館クラスター形成育成事業(博物館を中核とした文化クラスター形成事業)」https://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/shien/cluster_keisei/
  3. 美術手帖Webサイト(編集部)「政府案の「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」とは何か? 文化庁「確定事項は何もなく検討中」」(2018年5月21日)https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/15569 に詳しい。
  4. 文化施設を中心とした文化観光の在り方に関する検討会議「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進について(まとめ):文化の振興と観光の振興で地域の活性化を図る仕組みづくり」(2020年1月)https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/bunkashisetsu/
  5. ICOM Webサイト「International Museum Day 2020https://icom.museum/en/activities/events/international-museum-day/

2020年3月16日月曜日

ベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』を読む

 中央公論新社の主催する「新書大賞」の第1回は福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』で、国際的な生物学者の著作がお茶の間で愛される一つの契機となった、選考眼?!の確かなアワードである。その第13回となる「新書大賞2020」の栄えある第2位は、精神科医の宮口幸治氏による『ケーキの切れない非行少年たち』であった。それも受賞のはるか前から、近所の複数の本屋で平積みとなっていたベストセラーとなっている。2019年7月20日発行で、私が購入した版は、発刊から1ヶ月も経たないうちの8月10日付けの3刷。少し前に本屋で「40万部突破!」というポップを見かけた。本日の Amazon の新潮新書の「売れ筋ランキング」は1位が同書で、3位がそのKindle版(ちなみに2位は『トラックドライバーにも言わせて』これも気になります(笑))で、いまだに飛ぶ鳥を落とす売れ行きのようだ。
 本書との出会いは、本屋の店頭であった。それこそ平積みで、「売れてます!」みたいなポップが目立った。新書の赤い帯には歪な線が引かれた二つの丸の絵があり、「非行少年が”三等分”したケーキの図」、「すべてがゆがんで見えている」というコピーに引かれた。文体も簡潔で読みやすく、学力問題で知的障害を指摘する書籍は貴重だと思えた(実は発達障害かも、という本は目立つが)。そして、奥付の「3刷」に驚かされ、著者の略歴が(単なる物書きでなく)正統派の医師であり、また一緒にいた、それこそ「少年期」の子どもが、ワイドショーのような番組で見た!と話したことも決め手となり、購入した。
 著者の医師、宮口氏は、現在は立命館大の福祉系学科の教員であるが、臨床経験の豊富な児童精神科医とのことである。本書は、主に医療少年院でのご勤務経験が元となっているそうだ。犯罪を犯したり、その恐れがあったりする非行少年に、非行の「反省以前」の認知の問題がある者が少なくないことが、具体的なエピソードともに紹介されている。帯にあったケーキの図の他、上下左右や図形が原形を留めない模写のテスト結果など、視覚的に「認知の歪み」が伝わってくる。
 端的に言えば、知的なハンディのある非行少年の多くは、認知機能の歪みなどから「そもそも何が悪かったのか」が理解できず、指導者が伝えたいことも伝わっておらず、「悪いことをしても反省できない」のだ。感情統制も弱く、対人スキルも乏しい上、「身体的不器用さ」から学校生活や肉体労働の場で失敗し、自信を失い、責められ、かわかわれたりしてしまう。性犯罪を繰り返す少年は、「イジメ被害」で長年ストレスをため込み、対人認知の歪みから「相手の同意があった」と勘違いし、論理的思考ができずに不可解な物証を残したりする者も少ないないようだ。
 知的ハンディがある子どもは心身とも傷つきやすいのに、学校や職場などでそうした障害に気づかれないために、適切な支援を受けられず、社会に適応できず、虐待やいじめの被害者になり、さらには暴力の加害者や触法少年になってしまった・・・。こうした悲劇に直面した著者は、「反省したら更生できる」、「自己肯定感を高めよう」といった現場で蔓延する非科学的な教育観にまずは警鐘を鳴らすとともに、「コグトレ」と名付けられた「認知機能強化トレーニング」を考案されて矯正施設や学校などでの普及に努められている。たしかに、発達障害に関しては学校関係者のあいだで理解が広がり、支援級や通級指導が充実され、通常の学級での指導方法の tips は既に学習指導要領で詳細な解説が増えたが、昔から確実なニーズがある知的障害のある子どもの指導は、視覚障害や聴覚障害の場合と同様に、特別支援学校や専門職頼みとなっていて、あまり触れられない盲点かもしれない。だからこそ著者は、根性論や対処療法でなく、そもそもの認知の歪みを直し、身体運動、つまり体の大きな動きと手先の器用さの向上の重要性を訴えており、大いに首肯できる。
 そして、曲がりなりにも教員養成に携わる者として、「褒める教育だけでは問題は解決しない」という第6章は、もうすぐ教職に就く学生にも薦めたい。
 現職教員の研修講師も務める著者は、勉強も運動も対人関係も苦手で、問題行動ばかり起こす子どもの長所を何とか見つけて「ほめる」、優しく「話を聞いてあげる」といった一見正しい手法では「その場を繕うにはいいのですが(中略)勉強ができない事実は変わらないのです。」(123頁)と手厳しい。「この子は自尊感情が低い」という「紋切り型フレーズ」に対しても、著者は声(筆?)を荒げる。じゃ、大人は、特に教師などの支援者自身は、自らの自尊感情は高いですね? 低かったら皆が犯罪を犯し、少なくとも社会的不適応になるのですね? といった反証的問いかけもある。著者に従えば、小手先でエモーショナル(エモい!)な自尊感情向上より先に、運動スキルの改善や、「何もできないのにえらく自信をもっている」といった等身大の自分を掴めない問題の解決を、体系的・医療的に支える必要があるのだ。
 そのため著者は、子どもの直接的な支援には、学習と身体(運動)、対人関係を含めた社会の、三つの面があるとし、中でも社会面の支援が必要とする。これも首肯はするが、著者には小・中・高等学校のカリキュラムについて、やや誤解があるのではないかと思っている。
 もちろん子どもの社会面の発達を促す支援は必要であるが、この面に関し、著者は学校現場では系統的な教育が行われていないと考えられ、「全ての学習の基礎となる認知機能への支援」(128頁)が最重要と述べる。しかし、特に日本の教科教育では、系統的な学習指導の中に体験的活動であったり、情緒面の発達が考慮され、ときに共同学習という考え方では、グループや学級全体、つまり集団としての学び方を身に付けていく特質が強い。小学校で2020年度より全面実施される新しい学習指導要領では「社会に開かれた教育課程」や、いわゆる「アクティブ・ラーニング」が盛り込まれている。キャリア教育も、算数や国語の学習活動で基礎的・汎用的能力(いわゆるジェネリック・スキルズ)やキャリア・プランニング能力の伸張を目指す、といった発想である。しかし、著者の求めるレベルに足る、知的障害のある子どもの認知能力を確実に高める専門的指導の必要を考えると、一般の教員による授業内での生兵法的な支援でなく、医師や心理職、福祉職などの高度な専門職との連携と、実質的な「チーム学校」の体制整備こそが最優先ではないか。また教職課程においては、エモい(緩い?)指導スキルの充実より、高度な教科教育ができる教師の養成が重視されるべきではないか。
 インクルーシブ教育の観点から、障害があったり様々な問題を抱えた多くの子どもが通常の学級で学ぶようになり、教職課程でも特別支援教育を当たり前のように学ぶ時代となっている。しかし、小・中・高等学校の教員養成はあくまでも教科が指導できる学習面(「体育」で運動面もあるが!)がメインであり、2019年度から導入された教職課程の新課程では「特別支援教育」が必修科目となったが、それは1単位に過ぎない。黒板が写せない、計算が苦手などの学級単位の指導が困難な子どもの支援の場・機会の保障は不可欠であるが、教師がそうした知識・スキルを身に付け、40人学級の授業を完遂するには限界がある。学校や教師がすべて抱え込まず、学校内外の専門職や専門機関と連携や、少なくともそうした連携を当たり前とする現場の空気の醸成が重要なのではないか。
 そもそも、児童生徒の器質的な障害や犯してしまった問題行動などの詳細を、教師が、ある程度の予備知識として必要としても、すべて把握して教科教育の指導に役立てることは、児童生徒にとって落ち着かないのではないか。授業者や評価者は、そうした医療や心理、福祉の専門職とは名実ともに区切られた方がよいのでは。ハロー効果と言われるとおり←これこそ生兵法(笑)、「問題がある」とされる子どもの授業でのパフォーマンスは高くても、評価が低くなってしまう恐れはないのだろうか。
 いずれにしても第7章の「コグトレ」の紹介はヒント満載で、専門性の高い内容・方法ながら、「一日5分」で、ペットボトルなどを使ってお金をかけずにできる、といったハードルの低さが魅力である。私も早速、著者のトレーニング本を購入し、「最初とポン」などを教職課程の導入授業で紹介したいと企んでいる。
 それにしてもなぜ、同書がベストセラーなのか。私のような教育業界人(?)はともかく、なぜ一般書として爆発的に売れているのか。自分や、我が子に、もしかしたら知的障害や発達障害があるかも、また、そうした子どもに接する教師や教育関係者が手に取っているなら、この上ないことだろう。では、その他の読者は誰か。
 ワイドショーで面白そうだったから、という出会い方も良いと思うが、中高生や学生、また研修用の課題図書となっていたら別の問題が生じないか、懸念がある。「低IQ」や脳機能の損傷のある人は非行を犯しやすいという先入観を持ったり、自分はそうではないが、あの子どもはそうだ、という優越感や選別意識を抱いたり助長したりしまったら、元も子もない。読まれ方は察しようがないが、相模原の障害者施設での凄惨な殺傷事件の裁判員裁判で、被告の死刑判決が確定した今、障害者差別(意識)の根深さを痛感している。

 3月は、コロナウィルスの影響で様々な予定がキャンセルになり、「積ん読」だった本を手に取っている。新書大賞の第3位であった『教育格差』も読んでみたい。こうした賞の第2位と第3位が教育を扱う本であることは喜ばしい。一方で、新書はある程度、読書スキルがあり、それも好き好んで本を購入できる人に向けて書かれている。「ケーキを等分できる自分」や「学歴カーストの下位でない自分」をたしかめるために本が読まれているとしたら哀しい。
 現在、これも曲がりなりにも私が研究対象としている障害者の芸術文化活動や青少年の居場所事業の見方についても、大いに自警・自戒しなければならない。それはそうと、宮口氏には、リクエストとなりますが、非行少年の芸術文化活動についても示唆をいただきたいと思いました。

参考文献


2020年3月9日月曜日

国際女性デーと女子大

 3月8日は国際女性デー。この日に関連づけて、昨年3月に女子大の関係者が集まるシンポジウムが京都で開かれた。プラン・インターナショナル・ジャパン理事長の池上清子氏の講演を聴き、才気煥発で自信に溢れた女性の大学教員とたくさん話し、黄色いミモザのカクテルで乾杯した。私立医大の入試不正や伊藤詩織さんに代表される性暴力事件も明るみに出て、 #Me Too やフラワーデモのムーブメントが広がった頃で、女子教育そのものが旬なテーマだった。
 池上氏が強調されたSDGs にある初等教育の充実やフィスチュラなどの児童婚や保健衛生上の問題は、日本は既にクリアしている、という前提で、女子高等教育が主軸のシンポジウムである。しかし一方で、女子大のあいだで現状や課題といったものの差が広がったことも感じた。
 いわゆる有名女子大では、リカレント教育や留学の便宜を考えた4ターム制、トランスジェンダーの学生の受け入れなどを課題に挙げていた。一方で、多くの女子大では、幼稚園や保育園の先生、管理栄養士などの、「女性職」と呼ばれるような専門職の養成に地道に取り組んできた歴史がある。もっとも、時代の先端を行く女子大でもそうした専門職養成は行われているが、学部学科や全学を超えて国際的・広角的な女子教育のビジョンをもてるか、課程の維持・運営に文字どおり拘泥しているかが、一つの分岐点となっているように思う。
 特に幼保、つまり幼稚園教諭と保育士の養成がメインである大学・学部では、全国でカリキュラムの画一化と過密化が進む。これもちょうど昨年の春、ほぼ20年ぶりに教職課程が大きく改正された。「教職課程コアカリキュラム」なる新たな国の基準への準拠が求められ、シラバスや授業内容(項目)、場合によっては教員の差し替えさえ迫られた。さらに保育士養成課程も改正され、乳児保育関連の科目や、幼稚園と保育士の課程間の読み替えが効かない科目の増加で、時間割作成や教員の配当は複雑化した。幼保プラス小学校教諭や、小学校プラス中・高の教諭など、様々な資格・免許の取得を可能とするなら、職人技レベルのカリキュラムのデザインと運営が必要と言える。
 こうした制度改革の渦中で、複数の教職課程を置くのを止めた大学が出てきた。国のコアカリキュラムに対応できる高度・広範囲な科目と教員を揃えるには限界がある、ならば幼保、または中高の教科に特化しよう、という名誉ある撤退である。この取下げが許されるのは、いわゆる偏差値と知名度の高い一部の大学だと言える。免許・資格の数にこだわらなくても学生は就職でき、受験生も確保できる勝算があるのだ。
 誤解を招かないように言えば、教職課程の整理・縮減は、アンチ教員養成では決して無く、ときに職業教育の対局にあるとされる教養教育と、教員養成、ひいては他の免許・資格取得を含めた専門職養成の二つの方向性の両立が目指された結果ではないだろうか。
 京都のシンポジウムでは、津田塾大の報告が印象深かった。ルーツとなる女子英学塾では、かの津田梅子氏が次の目的を認めていたと言う。一つ目は all-round women の育成で、リベラルアーツの重視につながる。第二は「自立した女性」である。明治期には刺激的でさえある経済、つまり稼ぐことの重要性が説かれた。そして第三は教員養成。津田塾の場合はもちろん英語教員が中心である。明治期は学校教員のみが、女子が平等に就ける職であった。「英語」という専門性を生かして、第二の目的につながる専門就職が目指されたのである。女性に均等に開かれた職が教員だという現実が続く限り、特に教員養成と教養教育をセットで考える津田塾の教育理念は、女子大に共通する理念として首肯できた。
 羨ましいエピソードも散見した。卒業生のうち、就職・進学以外の「その他」は、2018年で全体の8%の50名ほどいるらしい。女子大を問わず全国の大学で「就職率100%」が目指される中で、堂々と公表されている。留学未満の遊学や自由業などが想定され、津田塾だから許される数なのかもしれない。なお、「家事従事」というカテゴリーもあったそうで、1979年度は卒業生のうち4%ほどであったが、2015年度よりゼロとなったとのこと。
 シンポジウムの当日は、他の女子大による管理栄養士養成課程についての報告もあった。これも単なる資格取得が目的ではなく、幅広く食の現場と研究活動を充実させ、女性が多い専門職の社会的な底上げも図る取り組みとして聴いた。
 そもそも国際女性デーや女子大学の存在が、社会的に十分に機能する現実は重い。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ(男女格差)指数で、日本は昨年で153カ国中の121位で、その順位は下がるがままになっている。高学力を公平に評価して学生を集めているはずの東大でさえ学部学生の女子の割合は2割未満で、上野千鶴子氏の入学式の祝辞によって「東大女子お断り」のサークルの存在が、今さらながら注目を浴びた。そのような現実がある以上、教養があり、経済的に自立した女性の育成と、そのための教員養成の充実という津田梅子の教育理念は、バランスの違いはあれ、あらゆる女子大で生きている指針なのだろう。高等教育だけでな中等教育、さらには初等教育に遡って女子教育を捉え直す必要もあるかもしれない。
 今年はコロナウィルスの感染防止のため、同様の女子大シンポジウムが中止となった。公立校の休校措置や家庭保育・介護の必要、非正規職の調整などから、多くの女子学生への影響も心配されるこの頃である。