2016年2月27日土曜日

子どもの貧困問題をアカデミックに考えるために

こども環境研究会関東第1回セミナー(2016年2月27日)参加記


「こども環境研究会関東」の旗揚げ会に当たる標記セミナーは、シンポジウムのテーマに「こどもの貧困と権利」を掲げた。
同会の大本の「こども環境学会」は「学会」を冠するものの、学際的な組織を標榜している。しかし、私には畑違いの世界だ(学会員であるが)。「まちの保育園」見学等の魅力的な集会に参加すると、都市計画系の研究者や建築関係者が目立つ。刊行物や配布資料は美しい画像が盛り沢山である。
昔、大学の建築学には二系統があると聞いた。一つはジャケットの襟を立てていたりする(!)おしゃれな公共建築系、もう一つは現場ではヘルメットで学会では着古したスーツの土木系であると。分かり易く(自虐的に?)解説してくださったのは後者に当たる研究者であるが、同学会は明らかに(先入観かも知れないが)前者に分類されるが、なぜ「貧困」がテーマか、そしてどのようにアプローチするかが大いに気になった。
そのような個人的な問題関心から、本学会の特性が生きたアプローチとして魅力を覚えたのは、3番目に登壇した建築家・藤木隆男氏の発表である。モダニズム建築で知られる建築家・ルイス・I・カーンの “Room” という言葉を借りて、一人ひとりの子どもの拠り所としての「居場所」を追求されている。子どもの福祉的生活空間のための「生活へのこだわり」も、「ハウスキーピング」として自然に実践出来るよう、設計の美学がある。
氏が設計された保育園や児童養護施設、母子生活支援施設は広々して採光が十分取られた吹き抜けの居間、子どもが隠れられる凸凹が多い保育室、空間に遊びがあって特に高年齢児の個性が生かされるような個室、デザイン性があるが機能的で掃除がし易そうなバスルーム等々、建築雑誌で紹介されるような(紹介されていると思うが)贅沢な空間である。発表後に、子どもの感想はどうか、という質問があったが、現状を観察すれば(棚に何が入っているか等)、非言語による設えの評価こそが雄弁ではないかと思われた。発表で使われた画像も、住む前で無く、実際に住んでいる様子であった。
他の2氏の発表は、私の職業柄、初めて聞く話では無かったが、貧困問題の最前線に立たれるお二人の貴重な発表であった。1番目は早稲田大学法学学術院・棚村政行氏である。民法、特に家族法がご専門で、協議離婚(無責任離婚!)が当たり前で家庭的養護も充実が待たれる日本固有の状況の改善に取り組まれている。夫婦別姓すら困難な日本で即時の法改正は期待出来ないため、市町村の制度運用の仕組みを変えていくことの重要性を述べられたことが印象的だった。実際に兵庫県明石市では養育費の立替払いを始めたそうである。
2番目に登壇されたセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの津田知子氏は、国際的に知られるNGOの国内事業部として日本の子どもの貧困問題に2010年から取り組まれ、折しも東日本大震災を経ることとなり宮城県石巻市や岩手県山田町等で、文字通り頭が下がるような実践をされている。
なかでも、2011年度より始められた給付型奨学金の話題が印象的であった。農業や水産の専門高校の生徒や要保護・準用保護児童生徒を対象とした返済不要の給付である。高校生に月2、3万程度のさほど大きな額では無いが、アルバイトを止めて部活動をしたり、修学旅行に気後れせず参加できたりして効果は十分のようである。また小1に1万、中1に4万を運動着や制服代として渡す「新入学応援キャンペーン」が今年2月より開始されたそうだ。
こうした奨学金についてフロアから(サクラかも知れない)質問があった。そもそも制服を揃える必要があるか(例えば「お下がり」という方法がある)、また、現金給付は「スマホ」購入等で子ども同士の「同調圧力」を助長するのではないかという質問と意見である。津田氏は、当たり前とされる物品が無いのは不登校を招くほど子どものスティグマとなる恐れがあること、また地方に行くほど同調圧力が強いゆえに「同じ」物品は必要という趣旨の回答を述べられた。情報も伝わり易く、洋品店で誰がNGOのお金で制服を購入したのかも噂になってしまうことも課題だそうだ。付け加えれば、日頃から強力な「ママ友」ネットワークを築き、学校のバザーや保護者会に早い時間から集まれる比較的余裕のある層でないと「お下がり」をゲットすることは難しいように思う。
文字通りの生命線ではないけれど、子どもの「最低限」の文化的環境を守るための住環境やモノ(文化財)は、この学会だから追求してほしいと思えた。お小遣い程度の仕送りを受けたりエアコンを付けたりしただけで援助が打ち切られてしまうように、「文化的な生活」の行政上の基準や社会的コンセンサスが朝日訴訟時代と変わっていないかも知れない今日、物理的、また美学的に良質な設えを知っている研究者や建築家の方には、高次だが不可欠な「最低限」を啓発し、具現化していただきたいと強く思った。
セーブ・ザ・チルドレンが受賞された石巻市子どもセンターは子どもの参画の重要性をアピールした施設であるが、支援者のネットワークづくりの拠点になり、生涯学習課の職員も関わっていると聞く。教育学の分野は物理的な支援ができずもどかしいが、制度面の、また社会教育ならではのアプローチを生かさなくてはならないと思う。
 津田氏から「想像力」を持って貧困問題を考えてほしいという趣旨の発言があり、シンポジウム全体としても研究会の学際性が発揮される展開を期待させた。会場は、午後の自由発表を控えているのであろう学生が目立った。優秀で、貧困からは遠い生活環境で育った学生は少なくないと思う。ぜひ「上から目線」で無く、想像力を働かせて都市計画等の研究と実践に取り組まれてほしい。何だか上から目線の締め括りとなったが・・・。

2016年2月16日火曜日

養護学校義務化をめぐって


来る2016年度より、障害者差別解消法の施行にもとづく「合理的配慮」が教育の現場にも求められる。特に話題に上らず、整備も進まない印象であるが、「共生社会」の方向へと舵を切り、少なくとも特別支援教育やそのインテグレーションについての議論を進めるための好機となるはずである。しかし、1979(昭和54)年の養護学校の義務制実施の方がインパクトは大きかったと言えよう。学校の発達史として見ると快挙であるが、批判も集めた。例えば、初期の大阪教育大学の特支講座を牽引した猪岡武(1978)は次のように熱く語る。
「学校教育法が昭和22年に制定されて以来、実に32年を経過して、やっと法律の本来の趣旨が具体化されることになったのである。(中略)障害児教育にとっても、またわが国の義務教育全体にとっても(中略)歴史的な事件と言っても過言ではないであろう。」(61頁)
しかし、論文の終章で「行政と教師の立場から考察を試みた」とエクスキューズし、「互いに課題を指摘し合うのみでなく、それぞれの立場で、自らに課せられた問題解決につとめる必要があるであろう。」(69頁)と締め括る。こう述べざるを得なかったのは、当事者による反対運動が激しかったためか。
義務制の完全実施は1971(昭和46)年の中教審答申を受けて特に養護学校が重点整備の対象となり、東京都では1974(昭和49)年度より希望者全員就学が適えられたと言う。しかしそれは国や自治体、全国障害者問題研究会(全障研)等の団体、そして親や教師が「適えたかった」施策かも知れない。
一方、養護学校義務制やその発達保障論に対し厳しく批判(闘争)したのが脳性マヒ者団体の「青い芝の会」であり、その中心人物の詩人、横田弘であった。当時の文部省や神奈川県知事等に公開質問状を送り、「団交」を重ねた。
横田(1974)の言説から、その反対理由を抜粋していく。第一に、障害児が「あたり前の子たちと一緒に学ばせることが根本」であり、「人間として初めての社会参加であり、人間関係の在り方を自らの体内に奪い取るための場」である学校から拒否されること(159頁)。
第二に、養護学校義務化により障害者が地域社会から隔離(抹殺)されること。「障害にあった教育、手厚い保護という名目で障害児をあたたかく教育したとして、そうした温室で受けた教育が、この差別と疎外の溢れている社会に一歩出た場合、何の役に立つであろう」(165頁)という危惧だ。
第三に、養護学校と特殊学級の急増により障害者が分断・隔離され、障害者と健全者(ママ)のコミュニケーションが断たれ、「障害者の言葉が分からない健全者」の意見が絶対的に優先されることの問題性である(174頁)。月1回程度の「交流」では何も生まれず、むしろ健全児に「障害児はかわいそうだ、地域社会の中では生きていけない」という認識を植え付けることとなる。
前述の猪岡(1978)も同様の問題を挙げている。重度・重複障害のある子どもの通学の負担が大きいことについても「決して小さな問題ではない」とし、さらに寄宿舎に入る場合に親と子を引き離してしまう問題を指摘している(64-65頁)。
「健常児の学校」からの障害児の隔離の問題は、1970年代当時の福祉政策に重なる。1968(昭和43)年に都立府中療育センターが出来、同年に宮城まり子さんの「ねむの木学園」(静岡県)が創設される。1971年は国立の「のぞみの園」(群馬県)が開設され、いわゆる大型コロニーが最先端の障害者施策として注目を集めていた頃である。希望しないまま家族と別れ、住み慣れた地域を離れた入所者は少なくなかったであろう。そして養護学校が増え、養護施設が増える過程で「普通」の学校や地域では、障害児者は少なくなっただろう。
重度・重複の子どもの養護学校就学が進むと、平成年間は軽度の障害のある子どもの特殊学級や通級での指導が制度化されていく。平成27年度のデータを見てみると、小学校の特別支援学級の児童数14万弱の半数を占めるのは知的障害のある児童であるが、自閉症・情緒障害の子どもの数が肉迫している。特支小に通う子どもが3万9千人であることからも、支援級の児童数が相当に拡大していること、また「障害」の定義そのものの拡大も見て取れる。
これからの特別支援教育は分離か統合かの白黒と言うより、抽象的な言い方になるが少なくとも当事者自身に選択肢が用意され、地域社会での営みを分断しない場であることが制度上で保障される必要があるだろう。養護学校の勤務経験のある村上美奈子(2003)は1970年代当時の全障研の発達保障論と対峙する篠原睦治の「共生・共育」論、さらに茂木俊彦の統合教育(インテグレーション)批判を丹念に掬い、自らの実践と重ねて統合教育の可能性を論じている。さらに今日は、障害者差別解消法も施行間近であり、物理的な配慮がなされた上でのインテグレーションが望まれる。例えば、特支校の通学や通級指導は保護者(特に母親)の送り迎えが見込まれているが、そうした制度設計の細かな見直しが、社会的障壁そのものを変えることができるだろう。
余談だが、猪岡論文と村上論文の一部を剽窃した論文を見つけ目を疑った。文字通り「コピペ」である。大学院生が執筆して大学紀要に掲載された模様で、既に撤回されていたのは幸いである。私の専門は特別支援教育では無いが、おそらく同様に教育学の主流でない分野に属するからこそ、その分野の社会的評価を下げる犯罪と言える行為に憤りを覚える。制度改革に行き着くための信頼を得るレトリックと青臭い倫理・正義感は大切にしなければ。

*参考




2016年2月12日金曜日

教育における障害児者との共生と当事者性

荒井裕樹(2010)「「青い芝の会」と絶望の哲学:横田弘詩集『まぼろしを』」『ノーマライゼーション:障害者の福祉』2010年9月号 を読む


あの「SPEED」のメンバーが今夏の参院選(比例区)に出馬する。聴覚障害がある11歳の息子さんがいて、会見では手話を交え「障害をもつ子どもたちが明るい希望をもてる社会づくりをしたい」と語ったとのこと。
先月はタレントの菊池桃子氏の去就も注目された。40代で法政の大学院に通い、母校の短大や安倍首相肝煎りの「一億総活躍国民会議」等でまさに八面六臂の活躍である。氏もまた、お嬢さんの障害を公表している。
教育の領域は、好感度の高い著名人の誰もが専門家や広告塔になり得る。彼等は、望ましい教育の成果としてのイメージキャラクターであるか、子育て経験や自らの子ども時代の成功譚を語れる者である。特に障害児者の分野は、「当事者であること」が条件に加わるように思う。パラリンピックの選手然り、障害を持つ本人の他、その親のみが入れる聖域に見える。
障害問題は当事者でないと語れないということは恐らく正しい。だからこそ、政策決定の主体が誰か、また(特に母)親は当事者なのかと現実を直視する時、障害を持つ者の無力感、また孤独感は計り知れない。
今年4月より障害者差別解消法が施行される。教育の現場にも「合理的配慮」として、意思疎通や情報保障のためのICT機器やティーチング・アシスタント等、一人ひとりに合わせた条件整備が当たり前とされるようになる。
しかし、文科省の示す「差別の解消」に関する指針は、「第1」の趣旨の解説が長い。障害者が必要とする社会的障壁を除去するための合理的な取り組みは必要であるが特段の罰則は無く、「できるだけ取り組むことが望まれることを意味する」、「実施に伴う負担が過重でないものである」と明記されている。こうした文書の常として、冒頭の大半がエクスキューズに割かれた印象がある。
同法への期待は大きいが、障害者との「共生」という甘い言葉には慎重になる必要があるだろう。指針のような条項は、障害の中で日々生きる訳ではない、健常者の視点から書かれるのだから。
前置きが長くなったが、『障害と文学』(現代書館、2011年)を著した気鋭の文学研究者、荒井裕樹氏が、脳性麻痺者の「青い芝の会」の中心メンバーで詩人、横田弘氏を論じた雑誌論文をふと思い出し、読み直した。障害者と健常者の溝を知らしめる作品は本当に背筋が凍る。横田氏は「障害者と健常者が互い分かり合う」ことに、徹底的に絶望していると荒井氏は述べる。さらに願いを込めてこのように叙述される。
「「障害者と健常者」という歴然とした力関係のもとでは、「分かってもらう/分かってあげる」という上下関係はあり得ても、対等に「分かり合う」ことはあり得ない。(中略)もし本当に「共生」ということがあり得るとすれば、(中略)、それは光り輝く理想郷などではなく、絶望の底の裂け目に生じる、儚い光の断片のようなものである。」(荒井、2010
このように「共生」は、障害者に「許し」を強いて辛うじて間口が開かれる、障害者と健常者の互いに譲れない部分を擦り合わせた奇跡の瞬間に過ぎないかも知れない。障害を「分かる」と言うのは健常者の傲慢に過ぎず、相互理解が当事者への甘えを前提に成り立ち得ることこそ「分かる」必要があるのだろう。
そのような意味で、障害児者を知る姿勢・・・荒井氏の言葉を借りると「心の覚悟」・・・は、合理的配慮には必須だ。障害の種類や程度、またバックグラウンドは多様である。本来は大人の見識と想像力で補うべきであるが、分からない者には何が分からないかが検討すらつかない。なので、当事者の意見はきわめて貴重である。脳性麻痺の障害を持つ中学教員の三戸学氏が、自らの働く姿を通して障害への理解を深め、「教育現場から共生社会の礎を築いていく」役割を自認されていることも象徴的である。合理的配慮が機能すれば、学校生活や社会生活で障害者を「排除する論理」を排除することとなる。
だが、当事者としての自負が新たな排除を生み、加速させる恐れがあることも肝に銘ずる必要がある。行政委員や研修会講師等で活動する時、「障害」という表記に対し障害児の保護者から「しょうがい」と書くよう強く嗜められることがある。その際は総合支援法等に「障害」とありまして等と正論を言うより、(実際にそうなのだが)私も「家族」ですと返す方が数倍も説得力が増すようだ。しかし、障害者の意見を家族として代弁する力は無く、その場で当事者の立場が求められている訳でも無く、可能な限り最善の、様々な立場の人の最大公約数を割り出すことに努めるしかない。障害を持つ本人が行政に参加する間口を広げられることが一番かも知れないが・・・。
荒井氏の著作ではハンセン病も主要なテーマである。療養所のボランティアガイドの問題がちょうど報じられていた。入所者の高齢化が進み、ガイドの養成講座で学んだ地元の住民等が何を語るかが課題だと言う。
3年前に横田氏が亡くなられたと聞く。詩作に疎いので荒井氏の橋渡しにより横田氏の思いが少し見えてきた思いでいる。もちろん荒井氏は代弁者としての役割を否定されると思うが。「青い芝」が提起した養護学校義務化の問題に加え、家族(特に母親)の抑圧性の問題は残されたままだが、差別解消法のもとの相当苦い「共生」は、私なりに注視したい。

*参考

2016年2月7日日曜日

学校給食は"親の愛情"のバロメーターではない

大西史晃「ハマ弁、一部に無償提供へ:生徒支援「線引き」課題」『朝日新聞(神奈川)』2016年2月4日 を読む


神奈川県に引っ越して驚いたのは公立中の給食が「当たり前」で無いこと。直近の調査で県内の中学校の完全給食実施率は24.4%。全国では87.5%、「ブービー」は兵庫県55.6%で、断トツの最下位。ミルク給食39.1%のおかげで給食実施率63.5%(全国93.7%)であるが、他県で「ミルク給食って何?」と聞かれそうだ。
「家庭弁当」という言葉も初耳だった。対義語は「買い弁」らしい。中学生のお弁当は家庭=親の手作りというのが、神奈川県民の常識なのかも知れない。なので、2016年度より横浜市で予約制の業者弁当、曰く「横浜型配達弁当」=「ハマ弁」が導入されることは一大事件なのだ。
新聞記事は、「昼食の確保が困難な生徒」に「ハマ弁」が無償提供される快挙とともに、「線引き」の課題を述べる。横浜市教委の説明のとおり「個に応じた食」である家庭弁当が基本なのだから。しかし、学校給食のある他市で給食費が援助されたはずの世帯が「家庭弁当が用意できず申し訳ありません」と切々と理由を訴えて恩恵が受けられるというなら不公平感云々という話で無く、義務教育課程としての配慮が問われよう。
もっとも分校含め148校の公立中を擁し、家庭弁当主義(?)最先鋒の横浜市と、県内他市では温度差がある。朝日新聞神奈川版の昨年4月8日の記事は秀逸で、小田原市は1962年、大和市は1973年、三浦市は1980年に中学給食を導入し、古参の相模原市は2010年に選択制のデリバリー給食に切り替え、川崎市では新市長誕生で家庭弁当主義から転向(!)して2017年度までの完全給食実施に動いたことが紹介されていた。JAXAのある相模原市の「星形メンチカツ」や小田原市の「おでん」等、工夫を凝らしたご当地メニューの写真も。
201411月から藤沢市でもデリバリー方式が施行され、数年先には神奈川の中学給食も「常識」になりそうだ。勤務先では弁当持参の学生が目立つ。多くは母親が作るそうで、彩り豊かでプロの域。家族に心底感謝するよう、学生には伝えている。

*参考




2016年2月6日土曜日

対岸の火事ではない就学支援

NHKニュース「中国:経済発展の影で増える“流動児童”」2016年2月6日 を見る
(URLはNHK NEWS Web)

土曜朝のNHKニュースで中国「流動児童」特集。出稼ぎ農民工で就労不安定な親の元、都市の郊外を「流動」する子どもの問題だ。
鄭州市の非正規校が映る。校長は良心的だが教室は荒れている。
暴力が止まらない小4男子映る。父親は、皮肉にも高そうな観葉植物の運搬アルバイトで月収4万。母親は事故死。自宅では小5の兄と寝転びカップ麺を食べ、テレビを見て過ごす。赤、青の色違いのナイロン上着で自転車相乗りし、雑多な街を疾走。花火の上がる祭りの夜、帰宅遅い兄弟を父親が叱るシーン。取材無ければ殴ってそう。
公立小は比較的裕福な児童が通うとナレーション。一人っ子政策無くなり、日本観光に来るような中間層が増え、ネットで情報が氾濫する消費文化が進むと、重慶郵電大の院長の解説のとおり、「社会を憎む」層は厚みを増すだろう。
 対岸の火事では無い。問題校でも薄給でも就学させる親の学校への信奉と、児童の学ぶ意欲を絶やさない行政支援は必須だ。