2019年10月12日土曜日

自然の脅威と宮坂先生

    大型台風が近づいている。ニュースで、学者然とした気象庁職員が、特別警報が、などと話している。なんでも死者や行方不明者が1,200人以上に及んだ1958年の「狩野川台風」以来の大雨らしい。午後は生温かい風が吹き、横向きの雨が降った。駅前のスーパーは長蛇の列で、惣菜の棚は空であった。明日は交通網がほぼストップすると聞く。
 地割れや大洪水に至らなくても都市のインフラはあまりにももろく、街は静かになる。そうした日には、30年ほど前となった学生時代を思い出す。その日は大雪の一月だった。200人は入る教室の後ろの席で、私は友人を待っていた。当時はネットやスマホが無く、休講情報はともかく、友人の行方が分からない。電車が止まって帰りそびれたら、同じキャンパスで先生をしている父の研究室に行けば良い。白雪が積もって辺りが静まりかえり、その尋常でないが落ち着いた雰囲気が心地よかった、と思う。
 そんな夢うつつの状態で、授業もほぼ終了時刻となった頃、ふいに先生が現れた。オムニバス授業なので二回目の遭遇だったが、前週と変わらず厚手のジャケットを着た白くまのような風体で、せかせかと教壇に上がった。「遅くなり申し訳ありません。」と丁寧に話された。大雪で・・・と決まったような説明はあったと思う。しかしその後は、講義をされた。走り書きのような板書をしながら、教室のはるか後ろにいる私一人に向かい、特に発言を求めることなく、大人数に話すのと同じスタイルの講義である。
 残念ながら講義内容は覚えていない。移動に一時間かかる別キャンパスの学部の所属で、今日のように「15回授業」などと言われなかった時代の大雪であり、容易に休講にできたはずである。律儀というより、自らのルーチンワークとして授業をしたかったのではないか。まとまりは無いが質の良い話を聴く、静まりかえった至福の時間だった。
   その先生は、宮坂広作である。彼の所属する学部に進学し、社会教育学入門のような授業で「可」(今で言うC評価!)をいただいたのも良い思い出だ。宮坂先生も父も鬼籍に入ったが、絶対的な自然の大きさ、強さを前に、大きかった先生を思い出す。


追記(2020年3月):「可」評価について

 弁明のような追記を(笑)。その講義は、教育学部の中では一番大きな教室で開かれ、消費者教育のテキストの購入は必要だが、出席はマストで無かった(15回授業が求められる現在ではあり得ないが!)。とにかく最終日に、昔ながらのB4版の罫線だけの用紙に思うことを書け、みたいな設題だった。バブル期が終わりかける時代の、アニエスベーなどの商品を購入する若者の消費経済への巻き込まれ方(?)を裏表に書いて力説した。おそらく講義とは焦点がずれていて、浅薄な論考に一瞬で「可」が付されたのではないかと思う。
 当時は学校教育学科の学部生だったが、学芸員と社会教育主事の任用資格を取るため、社会教育学科の授業は多めに受けていた。何の授業かは忘れたが、50人くらいの学生がいる授業は、講義室の前にしかドアが無いため、遅めに来る私は前の方に座っていた。宮坂先生のベストが裏表逆なのが気になったり、コメント用紙の束を手に「皆さんからの意見や質問に答えます。では・・・」などと一枚ほど少し読み、それに言及することもなくいつものトークとなったりと、終始マイペースの先生を味わう?素敵な時間であった。これも弁明となるが(笑)、先述の「可」評価以外はオール「優」で、勘違いにせよ、社会教育やりたい、と強く思えた。(なお、別日に友人が「ベストが逆です」と宮坂先生に伝えたところ、そうですか!と答えられたそうだが、その後も似たようなエピソードは事欠かなかった。)
 およそ一年後、大学院の入試で、第二外国語は仏語を選んだ。一般に筆記試験後の面接は、卒論や専門分野(社会教育)の試験の解答が問われるが、宮坂先生から「なぜ仏語を選んだか」と質問された。その時の仏語の試験(全科で共通)は、(それこそなぜか)フランスの近代音楽(フォーレやサティなど)に関する文章を読ませ、内容の理解度を測る小問と記述問題があったのを覚えている。学校教育から社会教育へ転科するようなスリリングな入試で、辛うじて無事に進学できたが、その3月に宮坂先生は退官された。なぜそのような質問をされたのか。卒論や筆記試験が箸にも棒にもかからず、社会教育の理解の浅さを叱責する意か、私の視点・関心の筋が悪いと暗に警告されたのか、それとも単に女子学生の意見を聞いてみたかっただけなのか・・・。いつか泉下の先生に聞いてみたい。

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