荒井裕樹(2010)「「青い芝の会」と絶望の哲学:横田弘詩集『まぼろしを』」『ノーマライゼーション:障害者の福祉』2010年9月号 を読む
あの「SPEED」のメンバーが今夏の参院選(比例区)に出馬する。聴覚障害がある11歳の息子さんがいて、会見では手話を交え「障害をもつ子どもたちが明るい希望をもてる社会づくりをしたい」と語ったとのこと。
先月はタレントの菊池桃子氏の去就も注目された。40代で法政の大学院に通い、母校の短大や安倍首相肝煎りの「一億総活躍国民会議」等でまさに八面六臂の活躍である。氏もまた、お嬢さんの障害を公表している。
教育の領域は、好感度の高い著名人の誰もが専門家や広告塔になり得る。彼等は、望ましい教育の成果としてのイメージキャラクターであるか、子育て経験や自らの子ども時代の成功譚を語れる者である。特に障害児者の分野は、「当事者であること」が条件に加わるように思う。パラリンピックの選手然り、障害を持つ本人の他、その親のみが入れる聖域に見える。
障害問題は当事者でないと語れないということは恐らく正しい。だからこそ、政策決定の主体が誰か、また(特に母)親は当事者なのかと現実を直視する時、障害を持つ者の無力感、また孤独感は計り知れない。
今年4月より障害者差別解消法が施行される。教育の現場にも「合理的配慮」として、意思疎通や情報保障のためのICT機器やティーチング・アシスタント等、一人ひとりに合わせた条件整備が当たり前とされるようになる。
しかし、文科省の示す「差別の解消」に関する指針は、「第1」の趣旨の解説が長い。障害者が必要とする社会的障壁を除去するための合理的な取り組みは必要であるが特段の罰則は無く、「できるだけ取り組むことが望まれることを意味する」、「実施に伴う負担が過重でないものである」と明記されている。こうした文書の常として、冒頭の大半がエクスキューズに割かれた印象がある。
同法への期待は大きいが、障害者との「共生」という甘い言葉には慎重になる必要があるだろう。指針のような条項は、障害の中で日々生きる訳ではない、健常者の視点から書かれるのだから。
前置きが長くなったが、『障害と文学』(現代書館、2011年)を著した気鋭の文学研究者、荒井裕樹氏が、脳性麻痺者の「青い芝の会」の中心メンバーで詩人、横田弘氏を論じた雑誌論文をふと思い出し、読み直した。障害者と健常者の溝を知らしめる作品は本当に背筋が凍る。横田氏は「障害者と健常者が互い分かり合う」ことに、徹底的に絶望していると荒井氏は述べる。さらに願いを込めてこのように叙述される。
「「障害者と健常者」という歴然とした力関係のもとでは、「分かってもらう/分かってあげる」という上下関係はあり得ても、対等に「分かり合う」ことはあり得ない。(中略)もし本当に「共生」ということがあり得るとすれば、(中略)、それは光り輝く理想郷などではなく、絶望の底の裂け目に生じる、儚い光の断片のようなものである。」(荒井、2010)
このように「共生」は、障害者に「許し」を強いて辛うじて間口が開かれる、障害者と健常者の互いに譲れない部分を擦り合わせた奇跡の瞬間に過ぎないかも知れない。障害を「分かる」と言うのは健常者の傲慢に過ぎず、相互理解が当事者への甘えを前提に成り立ち得ることこそ「分かる」必要があるのだろう。
そのような意味で、障害児者を知る姿勢・・・荒井氏の言葉を借りると「心の覚悟」・・・は、合理的配慮には必須だ。障害の種類や程度、またバックグラウンドは多様である。本来は大人の見識と想像力で補うべきであるが、分からない者には何が分からないかが検討すらつかない。なので、当事者の意見はきわめて貴重である。脳性麻痺の障害を持つ中学教員の三戸学氏が、自らの働く姿を通して障害への理解を深め、「教育現場から共生社会の礎を築いていく」役割を自認されていることも象徴的である。合理的配慮が機能すれば、学校生活や社会生活で障害者を「排除する論理」を排除することとなる。
だが、当事者としての自負が新たな排除を生み、加速させる恐れがあることも肝に銘ずる必要がある。行政委員や研修会講師等で活動する時、「障害」という表記に対し障害児の保護者から「しょうがい」と書くよう強く嗜められることがある。その際は総合支援法等に「障害」とありまして等と正論を言うより、(実際にそうなのだが)私も「家族」ですと返す方が数倍も説得力が増すようだ。しかし、障害者の意見を家族として代弁する力は無く、その場で当事者の立場が求められている訳でも無く、可能な限り最善の、様々な立場の人の最大公約数を割り出すことに努めるしかない。障害を持つ本人が行政に参加する間口を広げられることが一番かも知れないが・・・。
荒井氏の著作ではハンセン病も主要なテーマである。療養所のボランティアガイドの問題がちょうど報じられていた。入所者の高齢化が進み、ガイドの養成講座で学んだ地元の住民等が何を語るかが課題だと言う。
3年前に横田氏が亡くなられたと聞く。詩作に疎いので荒井氏の橋渡しにより横田氏の思いが少し見えてきた思いでいる。もちろん荒井氏は代弁者としての役割を否定されると思うが。「青い芝」が提起した養護学校義務化の問題に加え、家族(特に母親)の抑圧性の問題は残されたままだが、差別解消法のもとの相当苦い「共生」は、私なりに注視したい。
*参考
- 「SPEED今井絵理子さん立候補表明:参院選に自民から」『朝日新聞デジタル』2016年2月9日http://digital.asahi.com/articles/ASJ2956XLJ29UTFK00M.html
- 三戸学「(私の視点)障害者との共生:「合理的配慮」を考えて」『朝日新聞』2016年1月30日 を読むhttp://digital.asahi.com/articles/DA3S12184938.html
- 籏智広太「ハンセン病療養所、重み増すガイド:恵楓園に見学3万人」『朝日新聞』2016年2月7日http://digital.asahi.com/articles/ASJ1W5K52J1WTLVB00R.html
- 内閣府Webサイト「障害を理由とする差別の解消の推進」*法令等の一覧ありhttp://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html
- 文部科学省(通知)「文部科学省所管事業分野における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針の策定について」2015年11月29日http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1364725.htm
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