2016年3月25日金曜日

本を自分で選べる場所の意義

 高橋美知子(2016)「幸せな『ちいさいおうち』」『婦人之友』2016年4月号、75-77頁 を読む


岩手県陸前高田市の子ども図書館「ちいさいおうち」の二度目の紹介記事。東日本大震災の爪痕の残る201111月に作られたトレーラーハウスの小さな図書館であるが、写真は岩波の名作絵本『ちいさいおうち』のようにかわいい。トレーラーハウスは明るいレンガ色で花々に囲まれており、室内には4,700冊の本が「キラキラ光っているように勢揃い」しているそうである。
この「おうち」は、岩手県盛岡市の総合福祉センター内で「うれし野こども図書室」を運営するNPO法人が、被災地支援事業の一つとして立ち上げた分室である。専任司書は東京子ども図書館の職員。他にも多くの機関等から支援を受け、陸前高田市教育委員会と連携して運営している。「うれし野」はストーリーテリングの講師派遣を行ったり、盛岡市の「放課後子ども教室」に指定されたりする本格的な児童図書館であるようだが、「ちいさいおうち」でも「おはなしの時間」や大人対象の「えほんの会」が既に根付いているようだ。
 記事では「おうち」のイベント、「子どもの本屋さん」が紹介されていた。「うれし野」理事長の高橋美知子氏が、銀座の児童書専門店(教文館でしょうか)で選書中に思いついたそうである。
「至れり尽くせりの配慮が行き届いた配架のもとに、良質の本たちがズラリと顔を揃え」る店内で「しぜんに笑顔になり、気持ちが清々しく高揚し、さて、どのコーナーから見ていこうかしらと」高ぶる心。予算と葛藤する厳しい仕事であるが、ふと「被災地の子どもたちは、このような経験をしていない」と気づく。「与えられることになれている子どもたちに、たくさんの本の中から、自分で気に入ったものを選ぶという経験をさせたい」と考えたそうである。
早速、行動されるところがすごい。それも「東京の専門店から店員に方にきてもらい、“おみせやさんごっこ”」というガチな「ごっこ」だ。隣接するコミュニティセンターの一室を借り、子どもたちが150冊の中から自分の好きな本を選ぶ経験をする。子どもは素早く本を選び、実際に書架に並んだ自分で選んだ本を「いそいそと」借りたり、その本を違う子が借りると得意そうになったりと、本に対する思いがいっそう深まる体験になったそうだ。
たしかに本を「選ぶ」体験は、「自分たちの図書館」という意識が育つ重要な契機となろう。もちろん、職員は「良書」を知るプロである。「子どもの本屋さん」は、そうした目利き(それも図書室と書店の両方)が選んだ本から選ぶという意味で子どもの自由な選書と言うには限界があるが、それでも「たくさんの本の中から自分で気に入ったものを選ぶ」ことは、記事のタイトルのとおり「幸せ」な体験である。それは、子どもが自分の意見や好みを言うことが出来、そしてその意見が大人や他の子どもに認められ、本当にその本が書架に置かれる体験であり、「自分の図書館」という帰属意識を持てるとともに、日々の生活にも自己肯定感や「幸せ」の感覚を高めることにつながり得る。
深刻化する子どもの貧困問題のバイブルとなった阿部彩氏の新書『子どもの貧困』では、「剥奪状態」を測る社会調査の存在と、日英の対比が印象に残った。
一般的な社会通念上の必需品が持てないと判断される状況を「相対的剥奪(deprivation)」と呼ぶそうだ。阿部氏は、「12歳の子どもが普通の生活をするために、○○が必要だと思いますか?」と20代から80代までの一般市民1,800人に問いかけたところ、子どもの必需品への支持は多くの項目で驚くほど低かったそうだ。「希望するすべての子どもに絶対与えられるべき」と過半数が支持したのは26項目中の8項目だけであり、「絵本や子ども用の本」がその8番目に引っかかったことは不幸中の幸いのようなものである。しかし、「誕生日のお祝い」や「おもちゃ」、「お古でない洋服」等は、「与えられなくても仕方ない・与えられなくてよい」と考えている人がきわめて多かった。一方、イギリスの同様の調査では、洋服やおもちゃ等の生死に関わらない物品や、水泳、レジャー活動等が「必需品」として高い社会的支持を受けているそうである。つまり、誕生日を祝われることや「新しく、足にあった靴」の無い子どもは、イギリスでは必要な物品や活動が剥奪された子どもと見なされてしまう。
辛うじて日本でも必需品と見なされた「本・絵本」であるが、しかしそれを自分で選んだかどうかで、意味が大きく異なる。いかに良書でも、大人による教育的(!)な選書や「お古」である場合、「剥奪状態」を本当に回避出来ているのか、この判断は慎重であるべきである。舞台を図書館に戻して述べるなら、好きな本が並ぶ空間を「贅沢だ」と否定されない世の中であってほしい。
近年は「居場所としての図書館」論を良く聞く。夏休み明けの子どもの自殺が問題となり、「図書館に逃げて」と呼びかけた神奈川の鎌倉市図書館のTwitterは一躍有名になったが、図書館学の根本彰氏も「図書館居場所論」の日本での広がりを東日本大震災の前から指摘していた。もっとも根本氏によれば、電子図書館論のアンチテーゼとして「場所としての図書館論」が育つはずだが、ハイテク日本ではなぜか電子図書館論は発達しないまま、日本独自の「居場所論」が発展したようである。
おしゃれな「ツタヤ」等と民間型の経営が注目を浴びる一方、厳しい予算枠で貸出冊数の指標や管理者の問題、統廃合等に縛られるのが近年の図書館像である。居場所としての図書館という考え方と実践は強く支持するが、本で勝負してほしい。子どもにとって「本がいっぱいある」、「自由に選べる」ための、教育課程上はカオスかも知れない潤沢で非日常的な蔵書や選書の機能は、世知辛い世の中であるからこそ大切にしてほしい。それにしても「ちいさいおうち」には年齢制限が無ければ(?)ぜひ訪問させていただきたい。

*参考

  • 阿部彩(2008)『子どもの貧困:日本の不公平を考える』岩波書店、180-198
  • 根本彰(2011)『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』ミネルヴァ書房、64-65
  • NPO法人うれし野こども図書館(Webサイト)「3.11被災地支援事業 I.東日本大震災被災地陸前高田市に子ども図書館『ちいさいおうち』を設置」 http://ureshino-cl.jp/tohoku311.html
  • 鎌倉市図書館(Twitter)「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」2015年8月25https://mobile.twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040?lang=ja

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